日本の外で見る日本のモノ
みなさん、こんにちは。&FRELの杉浦です。10月に入り、今年も残すところあと3か月となりました。
先日、シンガポールで開催された家具のイベントを覗いてきました。以前訪れた際には、東南アジア発のデザインがとても新鮮だったので、今回も期待して行ったのですが、残念ながらそのような作品は今回あまり見られませんでした。
今回は日本からは檜の浴槽や竹を使ったプロダクト、建材を扱うメーカーが出展しており、ご担当者の方といろいろとお話をさせていただきました。私自身が日本人であることも影響していますが、海外で見る日本の商材、特に日本独自の素材や技術に基づく製品は、特に目を引くように感じます。
製品自体は、日本での展示会でも海外の展示会でも同じものを出展すれば当然同じですが、なぜか海外で見る日本製品は、より一層筋が通っていて特別な存在感があると感じます。主観的な見方かもしれませんが、どの国の展示会やお店でこのような製品を見ても、同じような感覚を覚えます。
なぜそのように感じるのか、うまく自分の中で消化できていなかったのですが、先日ある対談を聞いていて、自分なりに腑に落ちる結論にたどり着きました。
その対談は家具やデザインの話ではなく、人の個性やアイデンティティについての話だったのですが、それが自然とこの話と結びついた感じがしました。
とても大まかにまとめると、個性やアイデンティティは、一人称でその人自身が持つものという印象があります。しかし、結局その個性が引き立つかどうかは、周りとの関係や差異があって初めて成立し、意識されるという内容でした。
これを製品やデザイン、さらにはその背後にある背景や技術に当てはめて考えると、日本という国における日本のモノのという存在と、海外でのそれは、同じ製品であっても周りとの関係性の中で存在感や意味が変化していると言えます。
もっと身の回りの関係性で考えてみると、異国での日本製品という極端な関係性だけでなく、私たちの日々の暮らしの中でも、形あるものは多かれ少なかれ周りとの関係性の中で存在しています。
デザイナーの深澤直人さんも著書の中で「インタラクション(関係性)をデザインしている」と述べています。
一つ一つのモノがとても良いものであっても、どこか居心地が悪かったり、落ち着かなかったりするのは、モノ同士やモノと空間の間に適切な関係性が築けていないからかもしれません。
それとは逆に、単体としてみたときには少し違和感があったり、なんてことないように見えても、ある場所に置かれると急に存在感を増すということもありますね。
そういった関係性をしっかりと感じ、まとめることができる人をセンスが良いと呼ぶのかもしれませんね。
※本ブログの写真は株式会社竹定商店のブースで撮影させていただきました。